史上最薄の高分子樹脂を開発
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発表のポイント
◆高分子シートはさまざまな製品に利用されていますが、その厚さを分子レベルにまで薄くすることは非常に難しく、これまで長い間化学者の課題となっていました。
◆分子レベルの細孔を有する多孔性金属錯体(MOF)を鋳型として使うことで、わずか1分子の厚さの高分子シートを大量合成することに成功しました。
◆この高分子シートは従来の紐状高分子と比べて、柔軟性が大幅に向上することを明らかにし、多くの機能性材料の素材として幅広い応用の可能性が示されました。
発表概要
東京大学大学院新領域創成科学研究科の植村教授らは、分子でつくったナノサイズの空間を鋳型として使うことで、極限的に薄い高分子シートを正確かつ大量に合成する手法を開発しました。
自動車やスマートフォン等、高性能化や軽量化が要求される製品開発においては、どれだけ薄い高分子シートを作れるかが重要となっています。しかし、一般的な塗布や延伸といった成膜法では薄膜化に限界があり、分子レベルまで薄い高分子シートを合理的かつ大量に合成することはできませんでした。植村教授らの研究グループは、分子サイズの小さな隙間を持つ多孔性金属錯体(MOF、注1)を高分子合成の鋳型として利用することで、分子1個の厚さしかない高分子シートを大量に合成する手法を開発しました。これは世界で最も薄い高分子シートです。興味深いことに、この高分子シートは従来の高分子とは異なる性質を持っていることがわかりました。一般的な高分子は紐状の分子構造を持っており互いに絡み合いますが、高分子シートは原理的に絡み合えないため、これまで知られていなかった非常に柔軟な性質を示すことを発見しました。
本手法は、夢の材料であったシート状高分子の大量供給に繋がり、高分子製品、油脂、塗料、コーティング素材等、あらゆる化成品産業へ幅広い応用が考えられます(図1)。
本研究成果は、2020年7月17日(英国時間)に国際科学誌「Nature Communications」のオンライン版で公開されました。
発表内容
�@ 研究背景
高分子化合物からなる薄いシートは、ラッピングやコーティング材料、ディスプレイや電池、医療用品から化粧品に至るまで、多くの産業製品に欠かせない素材です。高分子シートを薄くすることは、それら製品の性能を向上させるだけでなく、軽量化やコスト削減にも繋がる重要な技術です。ところで、この高分子シートの厚さはどこまで薄くすることができるのでしょうか。実はこの問題には昔から多くの化学者が挑戦してきました。一般的に塗布や延伸といった工程で合成される高分子シートは、製造の原理上、分子レベルまで薄くすることは困難であるため、これまで分子レベルの厚さを持った高分子シートを大量にかつ合理的に合成する方法はありませんでした。そのため、極薄の高分子シートがどのような性質を示すのかなどについても、その多くが謎に包まれたまま夢の材料とされてきました。
したがって、高性能化・低コスト化の厳しい課題解決が求められる高分子・化成品産業では、汎用的なビニルモノマー(注2)を利用して分子レベルの厚さを持った高分子シートを合成する技術が課題解決の一つの突破口として注目され、その開発が長年待ち望まれていました。
�A 研究内容
本研究では、金属イオンとそれをつなぐ有機物から合成され、ナノサイズの空間を有する多孔性金属錯体(MOF)と呼ばれる材料に着目しました。二次元状の空間(隙間)が規則的に並んだ構造を持つMOFを利用し、その隙間の中でモノマーを架橋重合(注3)すれば、分子レベルの厚さの極薄高分子シートが効率的に得られると考え、研究を行いました。
汎用的なビニルモノマーであるスチレンは約0.7 nmの大きさを持っています。それよりも少しだけ大きい約0.8 nmの隙間を有するMOFを合成し、その隙間にスチレン分子を入れることで、1分子の厚さの二次元空間内にスチレンを閉じ込めることができました。その状態でスチレンモノマーを架橋重合し、MOFを取り除くことで、わずか1分子の厚さのポリスチレンシートを単離することに成功しました。本手法は反応のスケールアップも容易であり、同様の手順でグラムオーダーのポリスチレンシートの合成が可能であることも示されました。一般にモノマーを架橋重合すると三次元的なネットワークを作るため、溶媒に不溶の固体になってしまいます。しかし、この高分子シートは溶媒に均一に分散し溶解することがわかりました。光散乱を用いた分子量測定により、ポリスチレンシートの分子量は約30万であることもわかり、そのサイズは約100 nmであると見積もられました。一般的な高分子は、多数のモノマーが連結した紐状構造を持っています。しかし、今回得られた高分子シートは、分子レベルで二次元状のシート構造を持っており、従来の紐状高分子とは大きくことなる形状であることが原子間力顕微鏡(注4)による観察で明らかになりました。
このMOFを鋳型とした合成手法はモノマーの種類を選ばないため、代表的な汎用高分子の一つであるポリメチルメタクリレートも同様に単分子厚のシートとすることができました。MOFは金属と有機物の組み合わせにより自在に構造設計が可能です。そこでMOFの隙間の広さを約1.2 nmに調整し、同様にモノマーの架橋重合を行ったところ、隙間の広さに応じた厚い高分子シートも得られることもわかりました。したがって、本手法によりシートの厚さも自在に制御が可能であることが示されました。
興味深いことに、得られたポリスチレンシートのガラス転移点(注5)は一般的なポリスチレンよりも5℃以上低いことがわかりました。この性質は分子形状の二次元性に由来する特殊なものと考えられます。さらに動的粘弾性試験(注6)による結果から、ポリスチレンシートは同分子量の紐状ポリスチレンと比べて弾性率が極めて低く、柔軟性が大幅に向上することが明らかになりました。これは、高分子シートがお互い絡み合えないことに起因しています。日常的に見られるように、毛糸や電気コードといった紐状の物体はお互いに絡み合い、すぐにもつれてしまいますが、紙や布といった二次元状の物体はお互い絡み合うことはできません。このような面白い性質が高分子でも発現しているという事実をつきとめ、極薄高分子シートに特有の極めて重要な性質を明らかにすることができました。
�B 社会的意義・今後の予定
本研究により、MOFを二次元の鋳型として用いることで、世界で最も薄い高分子シートを簡単かつ大量に合成できることがわかりました。さらに得られた高分子シートは、特有の二次元構造に由来した極めて特殊な性質を示すことも明らかになりました。今後、高分子シートを添加剤として利用した高分子の物性制御法の開拓も進め、より汎用的な技術展開を図ります。
本手法は、さまざまな汎用モノマーから極薄の高分子シートを得ることが可能です。あらゆる高分子・化成品産業に利用できる全く新しい高分子素材として、今後の広範な応用が期待されます。
本研究は、文部科学省科学研究費補助金新学術領域「配位アシンメトリー」の支援を受けて行われました。
発表者
植村 卓史(東京大学大学院新領域創成科学研究科 物質系専攻 教授)
細野 暢彦(東京大学大学院新領域創成科学研究科 物質系専攻 講師)
発表雑誌
雑誌名:「Nature Communications」(オンライン版:7月17日)
論文タイトル:Unimolecularly thick monosheets of vinyl polymers fabricated in metal?organic frameworks
著者:Nobuhiko Hosono, Shuto Mochizuki, Yuki Hayashi, Takashi Uemura*
DOI番号:10.1038/s41467-020-17392-1
用語解説
(注1)多孔性金属錯体(MOF):金属イオンと有機化合物とが結合することで構成され、無数の規則的な細孔を骨格中に有する物質群。吸着材や触媒などへの応用が幅広く検討されている。
(注2)モノマー:高分子の構成単位に相当する分子。モノマーが多数結合することで高分子になる。構造にビニル基をもったものをビニルモノマーと呼び、スチレンやメチルメタクリレートなどが一般的。
(注3)架橋:高分子の鎖同士を橋かけし、ネットワーク化する反応。橋かけする分子のことを架橋剤と呼ぶ。
(注4)原子間力顕微鏡:小さな針(探針)を物質の表面で動かし、探針の先端と物質との間に働く原子間力の変化を検出して物質表面を画像化することのできる顕微鏡。分子サイズの小さな構造を極めて高い解像度で観察することができる。
(注5)ガラス転移点:高分子鎖が分子運動を始める温度。この温度以下では高分子鎖の分子運動が凍結されており、見かけ上はガラス状の固体として振る舞う。一方、この温度以上になると高分子鎖の分子運動が始まり、柔軟性や流動性を示すようになる。
(注6)動的粘弾性試験:紐状高分子は、ある長さ以上になるとお互いに絡み合うことができるようになるため粘性が上昇し、同時にゴムのような弾性も現れる。一般的に高分子は粘性と弾性の両方の性質を持っており、それらは動的粘弾性試験と呼ばれる方法で評価される。
添付資料
図1. 本研究の概念図
今回、世界で最も薄い高分子シートを簡単かつ大量に合成できる方法を開発したことで、夢の材料であったシート状高分子の大量供給に繋がり、高分子製品、油脂、塗料、コーティング素材等、あらゆる高分子・化成品産業に利用できる全く新しい高分子素材として、今後の広範な応用が期待されます。