適切な意思決定で自動運航の実現が大きく加速 ― シミュレーションが明らかにするステークホルダーの協力の効果 ―
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東京大学
発表のポイント
◆海事産業のステークホルダーの意思決定の相互作用を踏まえ、自動運航船の実装・普及を大幅に加速させる可能性があることを明らかにしました。
◆意思決定の相互作用をモデル化した自動運航船導入シミュレーターを構築し、実証事業への補助金や規制緩和等の組合せによる自動運航の導入・普及の違いを検討した世界でも先駆的な事例です。
◆本シミュレーターで実証したシミュレーションベースのアプローチを政策決定者や企業の意思決定に活用することで、新しい技術がもたらす社会実装・変革イメージを明確に示し、その導入に向けた合意形成プロセスを後押しすることが期待されます。
発表概要
東京大学大学院新領域創成科学研究科の中島拓也大学院生、ブライアン・モーザー特任准教授(Academic Director and Sr. Lecturer, MIT System Design and Management)、稗方和夫教授らの研究グループは、海事産業(注1)を構成するステークホルダーの意思決定の組合せによって、自動運航船の実装・普及を10年以上早める可能性があることを明らかにしました。
自動運航船に関する技術開発や実証実験は世界中で行われているものの、その技術が社会実装に至るまでには、相互に影響しあうステークホルダーが目標に向かって協力して技術開発投資や規制緩和等を進めていく必要があります。
本研究グループは、政策決定者や海運会社、造船所・メーカーといった海事産業のステークホルダーの関係性をモデル化した産業シミュレーターを構築し、自動運航船の導入を加速するステークホルダーの意思決定の組合せを探る世界でも先駆的な検討を行いました。3種類の自動運航技術の成熟度や、その組み合わせによる12タイプの自動運航船の経済性、安全性、またそれらに産業活動が及ぼす影響についてのモデルを作成してシミュレーションを行いました。その結果、様々な選択肢がある中で、研究開発と実証事業への補助金に規制緩和を組み合わせることで自動運航船の導入時期を早めることがわかりました(図1)。
提案したシミュレーションを政策決定者や企業の意思決定に活用することで、新しい技術の早期導入に向けた円滑な合意形成プロセスを実現することが期待されます。
図1:ステークホルダーの意思決定の組合せごとのシミュレーション結果の比較
左図の縦軸は産業全体の投資対効果(経済性指標)、右図の縦軸は想定事故発生数(安全性指標)、横軸はいずれも完全自動運航船の導入開始年度。意思決定の組合せによっては,10年以上導入に差が出ることを示す。
発表内容
〈研究の背景〉
世界の8割の貨物は船で運ばれており、社会基盤として人々の生活、経済、社会活動を支えています。船の事故は世界の海上物流はもちろん、海洋環境、乗客や船員の命にも影響するなどインパクトが大きいものです。昨今、船舶の増加や気象・海象の変化等、運航環境の複雑化に伴い、海上安全の責務を担う船員の負荷も大きくなっています。
近年の人工知能技術の発展により、船員の業務を機械が担う自動運航技術が注目されています。ヒューマンエラーが8割以上を占める船の事故の防止や船員の作業負荷の軽減だけでなく、省人化による船員不足の解消、船舶設計や運航の効率化に伴う燃料消費の削減といった効果が期待されています。
自動運航船に関する技術開発や実証実験は日本を含め世界各国で進められているものの、実際に社会に大規模に実装されるまでには至っていません。これには様々な理由が考えられます。一般に、新しい技術の社会実装にはステークホルダーの意思決定が大きく影響します。例えば、自動運航船のユーザである海運会社にとって、技術の便益や安全性が担保されない中での導入にはリスクが伴います。造船所やメーカーにとって、投資対効果が保障されない中での開発についても同様です。また、政策決定者は、これらのステークホルダーの意図を踏まえながら、補助金や規制緩和等の政策を通じて、産業全体として望ましい状況を実現する必要があります。このように、ステークホルダーの意思決定は相互に影響しあっており、その組み合わせによっては自動運航船の導入がなかなか進まず、結果として産業全体がその便益を享受できない可能性があります。
〈研究の内容〉
研究グループは、この均衡状態を抜け出し、自動運航船の導入を促進するステークホルダーの意思決定の組合せを探るとともに、導入促進による産業の利益、乗組員不足、海上安全へのインパクトの定量化を試みました。
まず、自動運航船の導入に関与する主体とその関係性を分析するため、ステークホルダー・バリュー・ネットワーク(注2)を作成しました。ネットワーク分析を行うことで、重要なステークホルダーおよびその関係性を定量化し、分析結果を考慮して自動運航船導入に関わる産業構造をモデル化しました。エージェントとして船会社、造船所・メーカー、政策決定者を想定し、メーカーの研究開発による関連技術の技術成熟度の向上、および自動運航船の導入に伴う製造経験や運用経験を組み込んだ数値モデルです。
自動運航船を構成する技術は、離着桟、航行・衝突回避、船体・機関監視に分類し、各技術および自動化レベルの組み合わせにより、既存船から完全自動運航船まで12の異なるタイプの自動運航船を想定しました。
次に、船会社による新造船採用戦略、造船所・メーカーの技術投資戦略、政策立案者による補助金の与え方および技術の導入規制を意思決定項目として考慮し、これらを様々に変化させてシミュレーションを行いました。シミュレーションでは、自動運航船の導入ロードマップ、産業全体としての投資と利益の推移、想定される海難事故の量、船員総数が出力されます。これらの指標を複合的に評価しながら、望ましい意思決定項目の組合せを探索しました。シミュレーションでは、日本で建造されるバルクキャリア(注3)の代表的な船型を対象とし、2022年から2050年までのシミュレーションを行いました(図2)。
その結果、研究開発と実証事業への補助金、および規制緩和を組み合わせることで自動運航船の導入時期は大きく加速しました。意思決定の組合せによっては10年以上導入時期が前後する可能性があることがわかりました(図3)。
図2:ステークホルダーの関係性をモデル化した自動運航船導入シミュレーター
運航船、および新造船と廃船のストック・フローを想定する。エージェントとして船会社、造船所・メーカー、政策決定者を想定し、メーカーの研究開発による関連技術の技術成熟度の向上、および自動運航船の導入に伴う製造経験や運用経験、さらには外部からの補助金や規制緩和の影響をモデルに組み込んだ。
図3:シミュレーション結果の例
左図は2022年から2050年までの船体構成の推移。青の既存船から徐々に自動化レベルが高まり、2039年に完全自動運航船が導入され始めるという導入ロードマップを示す。右は、3種類の技術の成熟度の推移で、導入に伴い技術の成熟スピードが高まることを示す。
〈今後の展望〉
本研究のアプローチは、自動運航船のみならず、対話や意思決定を通じた組織・産業・社会の変革のための技術への応用を見据えています。カーボンニュートラルの実現など、様々な側面を配慮する必要のある技術駆動イノベーションへの社会的要請を踏まえて提案しました。
本研究で示される定量的な値の妥当性は今後精査される必要がありますが、このようなシミュレーション結果を用いて、政策や意思決定の比較と議論を促すことが期待されます。
本研究の成果は、稗方教授およびモーザー特任准教授が運用しているシステムデザインスクール(新領域創成科学研究科社会人教育プログラム)の教育内容を基盤に、新領域創成科学研究科に設置された「海事デジタルエンジニアリング」社会連携講座(関連のプレスリリース参照)において発展させたものです。システムモデリングに関わる様々な専門家との対話を通じて、新技術導入のための産業のモデル化に関する知の深化、およびシミュレーションを通じた意思決定の社会実装に向けた検討を進めます。また、引き続きシステムデザインスクールでの社会人教育を通じて海事産業および他産業のDX、GXを後押しします。
〈関連のプレスリリース〉
「東京大学に「海事デジタルエンジニアリング」社会連携講座を開設―サステナブルな海上物流を実現するシミュレーション共通基盤の構築へ―」(2022/08/08)
https://www.k.u-tokyo.ac.jp/information/category/press/9621.html
発表者
東京大学大学院新領域創成科学研究科
中島 拓也(博士課程)
ブライアン・モーザー(特任准教授)<マサチューセッツ工科大学 System Design & Management コース(アカデミックディレクター・上級講師)>
稗方 和夫(教授)
論文情報
〈雑誌〉Technological Forecasting and Social Change
〈題名〉Accelerated adoption of maritime autonomous vessels by simulating the interplay of stakeholder decisions and learning
〈著者〉Takuya Nakashima*, Bryan Moser, Kazuo Hiekata
〈DOI〉 10.1016/j.techfore.2023.122710
〈URL〉 https://doi.org/10.1016/j.techfore.2023.122710
研究助成
本研究は、「JST 次世代研究者挑戦的研究プログラムJPMJSP2108」の支援により実施されました。
用語解説
(注1)海事産業:海運業、造船業、舶用工業、船級協会など、海上物流を支える業界の総称。
(注2)ステークホルダー・バリュー・ネットワーク:産業や社会システムを構成するステークホルダー間で交換される価値の流れを視覚化する手法。複雑な産業の構造を明示するのに効果的で、システム工学分野でよく用いられる。
(注3)バルクキャリア:梱包されずに輸送される貨物を運ぶ船(ばら積み船)で、特に大型船の場合は鉄鉱石・穀物・石炭を運ぶことが多い。
関連研究室
Laboratory for Intelligent Systems Design知的システムデザイン分野(稗方和夫研究室)
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