量子スピン液体の検証方法を確立 ―磁場の方向で温まりやすさが変化することに着目―
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発表のポイント
◆量子計算に有用なマヨラナ粒子が現れるといわれる量子スピン液体は、電子スピンの向きがそろわないため、実験的に検証することが非常に困難でした。
◆磁場を印加する方向を変化させた極低温比熱測定により、量子スピン液体候補物質であるコバルト酸化物と、量子スピン液体が実現していると考えられている塩化ルテニウムが全く異なる振る舞いを示し、スピンの向きがそろわない異なる状態が存在することが明らかになりました。
◆本研究により、量子スピン液体やマヨラナ粒子の存在を見分ける強力なツールが得られたことが示され、今後の量子スピン液体状態への理解がより深まることが期待されます。
量子スピン液体のイメージ図
量子スピン液体状態では、磁場の方向(オレンジ矢印)を変えたときの比熱が特異的に変化する。
概要
東京大学大学院新領域創成科学研究科の房圣杰(ファン センジェー)大学院生、水上雄太助教(研究当時、現在東北大学大学院理学研究科准教授)、橋本顕一郎准教授、芝内孝禎教授らの研究グループは、磁場の角度によって比熱がどのように変化するかを測定することで、蜂の巣格子を持つコバルト酸化物磁性絶縁体Na₂Co₂TeO₆(NCTO)のスピン状態の詳細を解明しました。
本研究では、アレクセイ・キタエフにより予測された量子スピン液体(キタエフ・スピン液体、注1)ではマヨラナ粒子(注2)が磁場の方向に敏感に依存して熱的に変化をもたらすことに着目しました。磁場方向を変えてNCTOの比熱を測定することで、マヨラナ粒子に見られる特徴的な現象が観測されず、代わりにマグノン(注3)と呼ばれるスピンの波が存在することが示唆されました。これは、NCTOが純粋なキタエフ・スピン液体状態ではなく、異なる磁気状態を持つことを意味します。
今回の研究により、比熱の磁場角度依存性がキタエフ・スピン液体状態を見分けるための強力なツールになることが示され、今後の研究の発展を促進することが期待されます。
本研究成果は、米国科学誌 Physical Review Lettersにオンライン掲載され、Editors' Suggestionに選出されました。
発表内容
量子スピン液体状態とは、量子力学的な揺らぎの効果により低温においてもスピンが秩序化しない特殊な状態であり、理論・実験両方面から盛んに研究されています。中でも注目を集めているものがキタエフ・スピン液体状態と呼ばれるものであり、理論的に取り扱いやすいことに加えて、そこではトポロジカル量子コンピューター(注4)への応用が可能なマヨラナ粒子という幻の粒子が存在すると期待されていることから非常に注目を集めています。
これまで、その有力な候補物質であるα-RuCl3では、キタエフ・スピン液体が実現し、マヨラナ粒子が存在する報告がなされていました。しかし、スピン液体は、強磁性などの電子スピンの向きがそろった磁気秩序状態とは異なり、スピンの向きがそろわず、液体のように揺らいでいるため、その検証方法が非常に困難であり、様々な議論が続いています。一方で最近、3d電子を有する遷移金属を含む磁性絶縁体において、より強いキタエフ相互作用を持つ可能性があることから、有望なキタエフ・スピン液体となり得ることが理論的に提案されています。今回、その代表例であるNa₂Co₂TeO₆(NCTO)において、キタエフ・スピン液体状態が実現しているかの実験的な検証を行いました。NCTOはα-RuCl3と類似の蜂の巣構造を有し(図1)、高磁場で磁気秩序がなくなることもα-RuCl3の特徴と酷似しています。
図1:Na₂Co₂TeO₆(NCTO)の結晶構造の模式図
NCTOでは磁性を担うCoイオン(青丸)が蜂の巣上に配置されている。H||a及びH||a*はそれぞれ磁場の印加方向を示しており、この磁場の方向の違いが比熱に特異的な変化をもたらすことが明らかになった。
一般的にキタエフ・スピン液体状態は秩序が無いことに加え、マヨラナ粒子が電気的に中性であることから実験的な検出は非常に困難だとされてきました。そこで本研究グループは、マヨラナ粒子が磁場の方向に敏感に依存して熱的に変化をもたらすことに着目し、極低温・高磁場領域における比熱測定を行うことで、磁場角度に対する状態の変化を直接観測することを試みました。
純粋なキタエフ・スピン液体では蜂の巣格子のボンドに垂直な方向(a軸方向)に磁場をかけると有限のギャップ(禁制帯)が開き、ボンドに並行な磁場をかけたとき(a*方向)にはギャップが閉じることが期待されています。今回の測定では、NCTOにおいて磁場をa軸方向に印加したときにはギャップが観測された一方で、a*方向でも有限のギャップが観測され、純粋なキタエフ・スピン液体状態ではないことが明らかになりました。これはα-RuCl3に見られるようなマヨラナ励起に起因するギャップの振る舞いと大きく異なる結果です(図2)。この結果について理論・実験両方面の先行研究と比較し、NCTOではキタエフ・スピン液体状態ではなく、トポロジカルに保護されたマグノン状態が実現している可能性が示唆されました。
図2:磁場方向を変えたときの(a)Na₂Co₂TeO₆(NCTO)および(b)a-RuCl3の比熱を温度で割ったものの測定結果
それぞれ測定温度は2.5 K、0.7 Kである。これらを比較すると、同じ角度で両者の振る舞いは大きく異なることがわかる。
今回の結果は、類似の蜂の巣構造を持つ2つの磁性体の磁気秩序を持たない状態で全く異なる振る舞いを示すことから、磁場の方向に依存した比熱を精密に測定することがキタエフ・スピン液体状態の検出のための強力なツールになり得ることを示しました。今後の研究で、量子スピン液体の理解がさらに深まり、新たな物理現象の発見につながることが期待されます。
〇関連情報:
プレスリリース「磁性絶縁体内部で現れるマヨラナ粒子の性質を解明」(2022/2/1)
https://www.k.u-tokyo.ac.jp/information/category/press/8826.html
発表者・研究者等情報
東京大学大学院新領域創成科学研究科
房 圣杰 大学院生(博士課程)
今村 薫平 大学院生(博士課程)
水上 雄太 助教(研究当時)現:東北大学大学院理学研究科 准教授
難波 隆一 大学院生(研究当時:修士課程)
石原 滉大 助教
橋本 顕一郎 准教授
芝内 孝禎 教授
論文情報
雑誌名: Physical Review Letters(2025年3月13日付)
題 名:Field-Angle-Resolved Specific Heat in Na2Co2TeO6: Evidence against Kitaev Quantum Spin Liquid
著者名: Shengjie Fang, Kumpei Imamura, Yuta Mizukami, Ryuichi Namba, Kota Ishihara, Kenichiro Hashimoto, and Takasada Shibauchi*
DOI: 10.1103/PhysRevLett.134.106701
URL: https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.134.106701
研究助成
本研究は科学研究費新学術領域研究(研究領域提案型)「量子液晶の物性科学」(領域代表:芝内孝禎、課題番号:JP19H05824)、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「トポロジカル材料科学に基づく革新的機能を有する材料・デバイスの創出」(研究代表者:松田祐司、研究領域:JPMJCR19T5)等の助成を受けて行われました。
用語解説
(注1)量子スピン液体、キタエフ・スピン液体
物質中のスピンは複雑な相互作用により、一般的には低温で同じ向きや反対の向きにそろい、特定の秩序を示す。一方で、スピンに量子力学的な揺らぎが強く働く場合、低温であってもスピンの秩序が形成されないことがある。このように、量子力学的な効果に起因してスピンの自由度が凍結しない、いわば液体のような状態を量子スピン液体と呼ぶ。量子スピン液体にはさまざまな理論モデルがあり、キタエフ・スピン液体、量子スピン液体はその代表例である。キタエフ模型では、従来の量子スピン液体に比べ、理論的に厳密に扱うことができることに加え、マヨラナ粒子という特殊な準粒子の存在から非常に注目を集めている。
(注2)マヨラナ粒子
1937年にエットーレ・マヨラナにより理論的に提案された素粒子である。一般的に、電子等に代表される粒子には、その電荷などの性質が反対となる反粒子が存在する。例えば電子の場合は、陽電子がその反粒子である。これに対し、マヨラナ粒子は、粒子と反粒子が同一となる性質を持つ。
(注3)マグノン
マグノンとは、スピンの集団的な振る舞いを指す物理現象である。通常の磁石ではスピンが整列して並ぶが、外部からエネルギーを加えると、一部のスピンがその並びからずれて波のように伝わる。このスピンの波の集団的な動きをマグノンと呼ぶ。
(注4)トポロジカル量子コンピューター
従来の量子コンピューターとは異なる物理系を用いて、量子計算を行う次世代型の量子コンピューターである。外乱に対して強いトポロジカルな性質を利用するため、周囲の環境の変化に強く、本質的にエラーを起こしにくいコンピューターになると期待される。
関連研究室