理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター電子状態マイクロスコピー研究チームの于秀珍(ウ・シュウシン)チームリーダー、強相関物質研究グループの田口康二郎グループディレクター、強相関理論研究グループの永長直人グループディレクター(東京大学大学院工学系研究科教授)と強相関物性研究グループの十倉好紀グループディレクター(同教授)らの共同研究グループ※は、ナノスケール(1~100nm、1nmは10億分の1メートル)の磁気渦構造である「メロン[1]」と反渦構造「アンチメロン[2]」の正方格子の直接観察に世界で初めて成功しました。
本研究成果により、さまざまなトポロジカル[3]磁気構造に関する研究やトポロジー[3]に関連した創発電磁現象[4]の研究が加速されるものと期待できます。
今回、共同研究グループは、室温において「Co8Zn9Mn3(Co:コバルト、Zn:亜鉛、Mn:マンガン)」というらせん磁性体[5]の薄片に微小な外部磁場を加えたところ、磁気渦構造のメロンとその反渦構造であるアンチメロンの正方格子が生成されることをローレンツ電子顕微鏡[6]で観察できました。また、�@外部磁場を徐々に大きくすると、メロンとアンチメロンは「スキルミオン[7]」に変化し、その構造は正方格子から三角格子に変わること、�A室温で生成されたメロンとアンチメロンの正方格子はスキルミオンの三角格子よりも温度の影響を受けやすくこと、�B低温において、安定なスキルミオンの三角格子と異なってメロンとアンチメロンの正方格子は崩壊しやすいことが明らかになりました。
本研究は、国際科学雑誌『Nature』(2019年12月6日号)に掲載されます。
磁気渦と反渦の正方格子を世界で初めて観察 -さまざまなトポロジカル磁気構造に関する研究を加速-
- 記者発表
共同研究グループ
理化学研究所 創発物性科学研究センター
電子状態マイクロスコピー研究チーム
チームリーダー 于 秀珍 (ウ・シュウシン)
強相関理論研究グループ
上級研究員 小椎八重 航(こしばえ わたる)
グループディレクター 永長 直人 (ながおさ なおと)
(東京大学大学院 工学系研究科 教授)
強相量子構造研究チーム
基礎科学特別研究員 柴田 基洋 (しばた きよう)
強相関物質研究グループ
グループディレクター 田口 康二郎(たぐち やすじろう)
強相関物性研究グループ
グループディレクター 十倉 好紀 (とくら よしのり)
(東京大学大学院 工学系研究科 教授)
東京大学大学院 新領域創成科学研究科 物質系専攻
准教授 徳永 祐介 (とくなが ゆうすけ)
研究支援
本研究の一部は日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究A「反転対称性が破れた電子系における非線形非相反応答の理論(研究代表者:永長直人)」による支援を受けて行われました。
背景
電子は、電気的な性質である「電荷」と磁気的な性質である「スピン」という二つの性質を持っています。スピンの集まりである磁気構造体を情報担体として利用する磁気記憶素子を高密度化・省電力化する方法として、近年注目を集めているのが渦状の磁気構造です。粒子としての性質を持つナノスケール(1~100nm、1nmは10億分の1メートル)の磁気渦構造は、新しい情報担体の候補として有望視されています。
スキルミオンはその磁気渦構造の一つで、トポロジカル数[3]1の構造として特徴づけられ、一旦生成されると安定したトポロジカル粒子として振る舞うことができます。磁気記憶素子への応用に向けて、室温でのスキルミオンの生成が望まれています。十倉グループディレクターらは2015年に、らせん磁性体Co-Zn-Mn合金(Co:コバルト、Zn:亜鉛、Mn:マンガン)において、室温より高い温度(約70℃まで)で「スキルミオン結晶(スキルミオンの三角格子)」を生成することに成功しました注1)。さらに2016年には、バルク状のCo8Zn8Mn4で熱力学的平衡状態にあるスキルミオン三角格子を、磁場中で室温(22℃)から極低温(-271℃)まで冷却することによって、スキルミオン格子を準安定状態[8]として凍結させました注2)。
一方で、らせん磁性体に面内磁気異方性[9]を導入することによって、トポロジカル数1/2である「メロン」とその反渦構造である「アンチメロン」の正方格子が安定化されることが理論計算により示されていましたが、実験ではまだ実証されていませんでした。
そこで共同研究グループは、メロン、アンチメロンおよびこれらの正方格子の生成・可視化を実現するため、らせん磁性体であるCo8Zn9Mn3の薄片に外部磁場を加えながら、磁気構造の変化とその安定性について調べることを試みました。
注1) 2015年7月2日プレスリリース「室温スキルミオンを生成する新物質を発見」
http://www.riken.jp/pr/press/2015/20150702_2/
注2)2016年9月20日プレスリリース「室温スキルミオン格子の構造転移」
http://www.riken.jp/pr/press/2016/20160920_1/
研究手法と成果
共同研究グループは、キラル[10]な結晶構造(図1a上段)を持つバルク状の「Co8Zn9Mn3」をアルゴンイオンビームによって、厚さ約100nmの薄片に加工しました。この薄片中の磁気構造を調べるために、室温(22℃)でローレンツ電子顕微鏡を用いて観察しました。
外部磁場がゼロのときには、らせん構造に対応した縞構造が観察されました(図1a中段)。次に、薄片に垂直に0.01テスラの磁場を加えながら、常磁性状態かららせん磁気秩序状態(22℃)まで冷やした後、磁場を0.02テスラまで大きくすると、磁気渦の正方格子が観察されました(図1b)。この正方格子のローレンツ電子顕微鏡像を解析すると、図1dに示されたような磁気渦構造が得られました。この磁気渦構造を理論で予測されたメロンとアンチメロンの正方格子(図1f)と比較したところ、一致することが明らかになりました。
さらに、磁場を0.06テスラまで大きくすると、今度はスキルミオンの三角格子が観察され、メロンとアンチメロンがスキルミオンに変化したことが分かりました(図1c, e, g)。また、メロン(トポロジカル数は-1/2)とアンチメロン(トポロジカル数は1/2)の正方格子からスキルミオン(トポロジカル数-1)の三角格子への転移過程において、試料中の全トポロジカル数が保持されたことが分かりました。
次に、Co8Zn9Mn3薄片におけるメロンとアンチメロンの正方格子、スキルミオン三角格子の形成条件や安定性について調べるために、外部磁場と温度を変えながら系統的に磁気構造を観察し、図2に示す磁気構造の相図を得ました。
まず、室温付近、0.02~0.05テスラの低磁場領域においては、メロンとアンチメロンの正方格子が生成されますが、温度が下がるにつれて崩れ始め、-153℃付近でらせん構造に変化します。
一方、室温付近のまま磁場を0.05テスラよりも大きくすると、メロンとアンチメロンの正方格子はスキルミオン三角格子に変化します。このスキルミオン三角格子は、メロンとアンチメロンの正方格子とは異なり、低温においても安定に存在しますが、その形状は正六角形から一方向に延びた形に著しく変形します。
また、室温付近で、さらに磁場を大きくすると、スキルミオン三角格子は崩れ、スキルミオンがばらばらに存在する「孤立スキルミオン」や「コニカル磁気構造[11]」に変化します。
今後の期待
本研究では、理論で予測されていたメロンとアンチメロンの正方格子を、ローレンツ電子顕微鏡法を用いた実空間観察により実証しました。また、メロンとアンチメロンの正方格子からスキルミオン三角格子への変化や、磁場と温度を変えながらの実空間観察よりメロンとスキルミオンの安定性の違いについて明らかにしました。
これによって、ナノスケールのさまざまなトポロジカルスピン構造に関する研究やトポロジーに関連した創発電磁現象の研究がさらに活発に行われると期待できます。
論文情報
<タイトル>
Transformation of topological spin textures between skyrmion and meron in a chiral magnet
<著者名>
Xiuzhen Yu, Wataru Koshibae, Yusuke Tokunaga, Kiyou Shibata, Yasujiro Taguchi, Naoto Nagaosa and Yoshinori Tokura
<雑誌>
Nature
<DOI>
10.1038/s41586-018-0745-3
補足説明
[1] メロン
渦状に配列している電子の磁気構造の一つ。渦の中心の電子スピンは上または下に向いているが、渦中のスピンは少しずつ方向を変えながら、渦の外周になると面内に寝て、円状に配列する。メロンのスピンは球面を半球覆う(立体角2πを覆う)ため、トポロジカル数は-1/2になる。
[2] アンチメロン
アンチメロンはメロンの反渦構造であり、トポロジカル数は1/2である。
[3] トポロジカル、トポロジー、トポロジカル数
「トポロジー」とは位相幾何学のことであり、磁気渦を特徴づける「巻き数」に相当する数は、渦の幾何学的な性質で決まる。これをトポロジカル数と呼び、渦の形が(連続的な)変形を起こしても、このトポロジカル数は同じ値を保って変化しない。
[4] 創発電磁現象
非共面的なスピン構造は、それらが張る立体角の大きさに応じて、通過する伝導電子に実効的な仮想磁場を与える。この電子は磁場の影響により偏向し、実効的な電場を生じる。この非共面的なスピン構造により誘起される電磁現象を創発電磁現象と呼ぶ。
[5] らせん磁性体
原子が作る一つの原子面内で一方向に配列した電子スピンが、原子面が変わるごとに少しずつ向きを変えてらせん状に配列するスピン構造を持つ磁性体のこと。らせん軸を含む面にらせんスピンを投影すると、スピンの投影成分は平行・反平行と交互に配列しているため、ローレンツ電子顕微鏡像はらせん周期と等しい縞模様となる。
[6] ローレンツ電子顕微鏡
磁場による電子線の偏向を利用して、磁性体の磁化状態を実空間で観察する手法。空間分解能が高く、ナノメートルオーダーの磁化状態の観察に適している。
[7] スキルミオン
スキルミオンとは、渦状の模様を形成している電子スピンの集団構造(渦状スピン構造)のこと。スキルミオンの中心スピンと外周スピンは反平行であり、その間のスピンは少しずつ方向を変えながら、渦状に配列している。スキルミオンのスピンは球面を一周覆う(立体角4πを覆う)ため、トポロジカル数は-1になる。
[8] 準安定状態
水を0℃以下まで均一に冷やしても氷にならない場合があるように、真の安定状態ではないものの、あたかも安定であるかのように長い時間存在し続けられる状態のこと。
[9] 面内磁気異方性
磁気モーメントが結晶面内に向き易いこと。
[10] キラル
右掌と左掌の関係のように、鏡に映して得られる構造が、元の自分自身の構造と重ならない結晶構造を「キラル」な結晶構造と呼ぶ。
[11] コニカル磁気構造
らせん伝播ベクトルに垂直な外部磁場を加えると現れる、磁場方向に沿う非共線的磁気構造のこと。コニカル(コーン)は円錐を意味する。
添付資料
図1 らせん磁性体Co8Zn9Mn3薄片の観察結果
(a) キラルな結晶構造を持つらせん磁性体Co8Zn9Mn3の模式図(上段)。室温(22℃)・外部磁場ゼロのときに観察されたローレンツ電子顕微鏡像の縞模様(中段)。下段は正方格子(金色の円)と三角格子(青色の円)の生成条件を示す。
(b) 室温・外部磁場0.02テスラ(T)のときのローレンツ電子顕微鏡像
(c) 室温・外部磁場0.06Tのときのローレンツ電子顕微鏡像
(d, e) (b)と(c)から解析された磁気構造
(f, g) 理論で予測される模式図
図2 温度と外部磁場に対するCo8Zn9Mn3の磁気構造の相図
室温(22℃)付近、0.02~0.05テスラでは、メロンとアンチメロンの正方格子(緑色)が生成されるが、低温になるにつれて崩れ始め、-153℃付近でらせん構造に変化する(青色)。一方、室温付近のまま0.05テスラ以上になると、スキルミオン三角格子が生成され(赤色)、これは低温においても安定に存在するが、その形状は著しく変形する(橙色)。また、室温付近で、0.15テスラ以上になると、スキルミオン三角格子は崩れ、孤立スキルミオンやコニカル磁気構造に変化する(灰色)。