記者発表

ダーウィンの時代ウォレスが注目したナガサキアゲハの擬態の謎に迫る

投稿日:2018/04/20
  • ニュース
  • 記者発表
      

 

発表者

藤原 晴彦(東京大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻 教授)

発表のポイント

◆雌の一部のみがベイツ型擬態を示すナガサキアゲハの全ゲノム構造を明らかにし、擬態の原因となる遺伝子領域が複数の隣接遺伝子からなる超遺伝子であることを見出した。
◆同様の擬態を示す近縁種のシロオビアゲハの超遺伝子の構造はナガサキアゲハと大きく異なっており、両者のベイツ型擬態は独立に進化(平行進化)した可能性が示された。
◆超遺伝子は複雑な生命現象の原因として近年注目されているが、その詳細な構造や進化機構が明らかとなった2種のアゲハチョウが超遺伝子研究のモデルになると期待される。

発表概要

 ナガサキアゲハは東南アジアなどに生息するアゲハチョウの一種で、雌の一部(擬態型)のみが毒蝶に翅などの紋様を似せるベイツ型擬態を示す。 近年、非擬態型は北上して東京近郊などでもよく見られる。雌のみが擬態するという興味深い特徴から、 ダーウィンとともに進化学の道を切り拓いたウォレスが着目したことでも有名な蝶であるが、 擬態の原因遺伝子や進化機構についてはほとんどわかっていなかった。東京大学大学院新領域創成科学研究科の藤原晴彦教授らは、 ナガサキアゲハのベイツ型擬態の原因遺伝子領域を解明するとともに、その構造や進化に関して興味深い事実を明らかにした。ナガサキアゲハの全ゲノム構造を明らかにした結果、擬態の原因となる領域が複数の隣接遺伝子からなる超遺伝子であることを見出した。同様のベイツ型擬態を示す近縁種のシロオビアゲハの超遺伝子の構造はナガサキアゲハと大きく異なっており、両者のベイツ型擬態は独立に進化(平行進化)した可能性が示された。超遺伝子は複雑な生命現象の原因として近年注目されているが、今回その詳細な構造や進化機構が明らかとなった2種のアゲハチョウが超遺伝子研究のモデルになると期待される。

発表内容

 ナガサキアゲハは主に東南アジアに生息するアゲハチョウの一種で、 雌の一部(擬態型)のみが毒蝶に翅などの紋様を似せるベイツ型擬態(注1)を示す。 非擬態型雌(と雄)は日本国内にも生息し、近年は北上して東京近郊などでもよく見られるようになった(図1)。 雌のみが擬態するという興味深い特徴から、ダーウィンとともに進化学の道を切り拓いたウォレス(注2)が150年近く前に着目したことでも有名な蝶である。 その後、多くの生態学者や遺伝学者がこの蝶の不思議な性質の謎を解こうとしてきたが、擬態の原因遺伝子や進化機構についてはほとんどわからなかった。 東京大学大学院新領域創成科学研究科の藤原晴彦教授と大学院生の飯島拓郎らは、東京工業大学、京都大学、台湾師範大学と共同で、 ナガサキアゲハのベイツ型擬態の原因遺伝子領域を解明するとともに、その構造や進化に関して興味深い事実を明らかにした。
 藤原教授らは、まずナガサキアゲハの複数の個体の全ゲノム配列を解読し、GWAS(注3)という手法を用いて、 擬態の原因領域が第25染色体の150kbほどの領域に絞られることを明らかにした。 この領域にはdoublesex(dsx)(注4)という性分化を制御する遺伝子とそれ以外に2種類の遺伝子が含まれた(図2)。 これらの遺伝子の配列には擬態型と非擬態型の2種類があり、基本的には擬態を示す雌の翅では擬態型の遺伝子が強く発現していた。 このような遺伝子構造は「超遺伝子(スーパージーン)」(注5)と呼ばれ、近年様々な興味深い適応形質の原因となっていることが報告され、注目されている。
 以前に藤原教授らのグループは、やはり雌の一部のみがベイツ型擬態をするシロオビアゲハ(注6)(図1)でも、 ほぼ同じ染色体領域の超遺伝子が擬態を制御することを見出していた。ナガサキアゲハとシロオビアゲハは系統的には近い関係にある近縁種であることから、 祖先種の段階でこのような擬態を制御する超遺伝子が生じたと考えた。しかし、詳細に調べるとシロオビアゲハとナガサキアゲハの超遺伝子はいくつかの点で異なることが判明した。 1点目は超遺伝子に含まれる配列が2種のアゲハでは大きく異なっていたことである。例えば、 擬態の紋様などを切り替える働きをする擬態型dsxのアミノ酸配列の変異部位の場所は両種で一致する箇所は見られなかった(図3)。 2点目はシロオビアゲハの超遺伝子の両側には擬態型と非擬態型で染色体の方向性が反転する「染色体逆位」(注7) がみられるが、ナガサキアゲハの超遺伝子にはそのような「逆位」が見られなかったことである(図2)。 染色体の逆位はその間に挟まれた領域で相同染色体間の組換え(注8)が抑制され、相同染色体(この場合、擬態型染色体と非擬態型染色体)の構造の多型性の維持や安定化に働くといわれており、 これまで報告されているほとんどの「超遺伝子」では染色体逆位が観察されている。
 これらの結果は、2種類のアゲハで見られる類似したベイツ型擬態(一部の雌に限定された擬態)が独立に進化してきた可能性を示唆する。似たような形質が独立して進化するプロセスは「平行進化」(注9)と呼ばれるが、その分子的実体が明らかになったものはほとんどなく、シロオビアゲハとナガサキアゲハのベイツ型擬態を制御する超遺伝子はその過程を分子レベルで検証できる最先端の事例と考えられる。また、今回超遺伝子構造に染色体逆位が存在しない例が示されたことで、超遺伝子の形成と安定化に関わる新たな機構の存在が示唆された。現時点ではそのメカニズムについてはわからないが、今後その機構を明らかにすることで「超遺伝子」の機能や進化が明確になると期待される。

発表雑誌

雑誌名: 「Science Advances」オンラインジャーナル
論文タイトル: Parallel evolution of Batesian mimicry supergene in two Papilio butterflies, P. polytes and P. memnon..
著者:Takuro IIJIMA, Rei KAJITANI, Shinya KOMATA, Chung-Pin LIN, Teiji SOTA, Takehiko ITO and Haruhiko FUJIWARA*

問い合わせ先

東京大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻
教授 藤原 晴彦(ふじわら はるひこ)
TEL:04-7136-3659
E-mail:haruhedu.k.u-tokyo.ac.jp

用語解説

(注1) ベイツ型擬態:無毒な生物種が有毒種の紋様や行動を似せて天敵からの捕食を免れる擬態。ダーウィンと同時代の博物学者ヘンリー・ウォルター・ベイツが最初に見出した。

(注2)ウォレス:アルフレッド・ラッセル・ウォレス。ダーウィンと同時代の博物学者・進化生物学者。インドネシアからフィリピンに至る生物の分布境界線「ウォレス線」の発見でも著明。

(注3)GWAS:Genome-Wide Association Study(ゲノムワイド関連解析)の略。ゲノム中にあるSNP(一塩基多型)などの多型と表現形質との関連を統計的に調べる手法。ヒトの病気などの原因となるゲノム領域の探索でよく用いられている。

(注4)doublesex:ほぼ全ての動物で性分化を制御している遺伝子。転写因子として様々な下流の遺伝子の発現を制御して、雌雄の分化過程をコントロールする。

(注5)超遺伝子(スーパージーン):擬態のような複雑な表現型を制御する染色体上の隣接する一群の遺伝子。「超遺伝子」の仮説は100年近く前にナガサキアゲハの擬態などで初めて提唱されたが、その実体は不明だった。魚の隠蔽色、植物のめしべの長さ、アリの社会性、鳥の羽毛パターンなど様々な現象が超遺伝子によって制御されている。

(注6)シロオビアゲハ:東南アジア・南アジアなどに主に生息するアゲハ蝶の一種で、ナガサキアゲハに近縁な種。日本では沖縄などの南西諸島に生息する。ナガサキアゲハと同様に雌に擬態型と非擬態型の2つのタイプがあり、擬態型雌のみが毒蝶のベニモンアゲハに似せるベイツ型擬態を示す。また、この擬態も超遺伝子で制御されていることが示されていた。

(注7)染色体逆位:染色体上の一部の領域が切断などにより向きが変わること。相同染色体間で逆位が起こっているとその部分で組換えが抑制される(注8参照)。

(注8)相同染色体の組換え:高等な動植物の体細胞には通常、父方由来と母方由来の染色体が1対ずつ含まれ、相同染色体と呼ばれる。精子や卵子を作る減数分裂の過程で、相同染色体同士が対になり、両者のランダムな場所で染色体領域が交換される現象を「組換え」とよぶ。

(注9)平行進化:異なった生物種間で、ある形質が似通った方向に進化すること。

添付資料