がん抑制遺伝子が不活性化される新たなメカニズムの発見― 成人T細胞白血病、悪性リンパ腫のエピゲノム異常の原因特定と新薬の開発にむけて ―
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発表者
山岸 誠(東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻 特任講師)
内丸 薫(東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻 教授)
渡邉 俊樹(東京大学名誉教授/フューチャーセンター推進機構 特任研究員)
本間 大輔(第一三共株式会社オンコロジー第二研究所第三グループ)
荒木 一司(第一三共株式会社オンコロジー臨床開発部)
発表のポイント
◆ATL、悪性リンパ腫、一部の固形がんなどで発がんを抑える遺伝子について、その発現が抑制される原因を特定し、さらに特異的に阻害する化合物を開発することで新たな治療法を提案した。
◆多くのがんで見られるエピゲノム異常を誘導する酵素(EZH1とEZH2)について、その複雑な働きを突き止め、さらにそれらを阻害する化合物を開発し、非臨床研究において高い有効性と持続性を示した。
◆エピゲノム異常は多くのがんの根幹にある性質であり、その原因の一つを特定し、さらに創薬への応用にまでつなげた本成果は、予後不良な腫瘍性疾患に対する新たな可能性を示しており、社会的意義は大きい。
発表概要
がん、白血病、悪性リンパ腫などの腫瘍細胞では、がん化を抑制する遺伝子の多くが機能できないように、DNAを取り巻く環境が変化しています。東京大学大学院新領域創成科学研究科の山岸誠特任講師、内丸薫教授らの研究グループは、このエピゲノム異常(注1)と呼ばれる現象の一因となる酵素群 (EZH1とEZH2(注2))の複雑な働きを紐解き、多くのがん抑制遺伝子が不活性化される新たなメカニズムを発見しました。さらに、EZH1とEZH2を同時に阻害できる新たな化合物を第一三共株式会社と共同で開発し、有効な治療法が確立されていない成人T細胞白血病リンパ腫(ATL(注3))や悪性リンパ腫の遺伝子の発現パターンを正常に戻すことによって、がん細胞を特異的に死滅させることを明らかにしました。また、その化合物はヒトT細胞性白血病ウイルス1型(HTLV-1(注4))などのウイルスに感染した前がん状態の細胞に対しても効果があり、発症予防などへの応用の可能性も示されました。この研究成果を受け、その化合物については既にATLや他の悪性リンパ腫などに対する臨床試験が実施されており、中間報告で高い安全性と有効性が示唆されています。我が国の基礎研究から原因が同定され、世界をリードして新薬が開発されることは社会的意義が非常に大きく、白血病や悪性リンパ腫などに罹患した方々にとって大きな救いとなる可能性があります。
本研究成果は、米国科学雑誌「Cell Reports」2019年11月19日版に掲載されました。
発表内容
エピゲノムは細胞の基本的性質や運命を決定する極めて重要な特徴であり、がん細胞は例外なく正常と異なるエピゲノムを形成しています。がん細胞に特徴的なクロマチン構造(注5)を決定する要因の多くは、外的または内的要因によって関連する酵素群が質的・量的に変化し、誘導される可逆的な性質を持つため、がんなどの疾患における標的となる分子としても古くから期待されていました。
メチル化ヒストン(H3K27me3(注6))の異常な蓄積によるエピゲノム異常は、多くのがんや造血器腫瘍で見られる代表的な性質です。H3K27me3の変化によって非常に多くの遺伝子の発現パターンが変化し、腫瘍細胞の増殖能、走化/転移/浸潤能、分化異常、化学療法への耐性、宿主免疫からの逃避機構などのさまざまな特徴に対して、極めて重要な影響を及ぼすことが分かっています。
これまでに悪性リンパ腫、急性白血病などの造血器腫瘍や、乳がん、前立腺癌、肺がん、肝臓がん、膵臓がん、脳腫瘍などの多くの固形がんにおいて、H3K27me3が蓄積したエピゲノム異常が報告され、H3K27me3を誘導する複合体の中心的な酵素であるEZH2が、治療の標的となる分子の候補として研究が進んでいました。しかしながら、EZH2の遺伝子自体に異常を持たない大半の白血病、悪性リンパ腫、固形がんにおいて、H3K27me3がどのように蓄積するかは不明なままであり、高く持続的な治療効果の達成が重要な課題でした。
東京大学大学院新領域創成科学研究科の山岸誠特任講師、内丸薫教授らの研究グループは、ATLや他の悪性リンパ腫において、H3K27me3を誘導するEZH1とEZH2の二つの酵素が腫瘍細胞内に共存することに気づき、両分子のクロマチン上の分布を解析した結果、両者は協調してH3K27me3を蓄積させることを明らかにしました。また、多くのがんで高頻度に見られるエピゲノムに関連した遺伝子の異常が、H3K27me3を蓄積させることを見出し、このプロセスにおいてもEZH1とEZH2が協調して機能することを明らかにしました(図1)。
興味深いことに、EZH1またはEZH2のいずれかの遺伝子を不活性化すると、もう一方の酵素が失われた機能を補うことで高いレベルのH3K27me3の蓄積が保たれ、がん抑制遺伝子の発現も不活性化されたままであることが分かりました。この二つの酵素が相互に機能を補償する効果によって、がん細胞のエピゲノムが保たれる恒常性は、H3K27me3の蓄積を標的とした治療のコンセプトの障害となることが示唆されました。
そこで研究グループは、第一三共株式会社と共同でEZH1とEZH2の両方を阻害する新たな化合物(EZH1/2阻害物質)を開発し、ATLなどの多くの悪性リンパ腫や、エピゲノムに関連した遺伝子に変異を持つ多くの種類のがんに対して、有効である実験データを得ました(図1)。新たな化合物は、EZH1とEZH2による相互の補償効果を打ち消すことで、従来のEZH2のみを阻害する薬と比較してH3K27me3を減少させる高い効果を示し、遺伝子の発現を正常化することで抗腫瘍効果を発揮することが分かりました。さらに、予後が比較的良い慢性型またはくすぶり型のATLや、HTLV-1やEpstein-barr (EB)ウイルス(注7)に感染した前がん状態の細胞においても同様のエピゲノム異常が存在し、さらに新たな化合物(EZH1/2阻害物質)が有効であることも明らかにしました。今後はEZH1/2に依存したエピゲノム異常を標的とすることで、早期の治療介入や発症予防などへの展開が期待されます。
第一三共株式会社は、ATLを含む再発難治T細胞リンパ腫に対するEZH1/2阻害薬(Valemetostat/DS-3201)の薬事承認に向けて、その第1相臨床試験を実施中であり、厚生労働省より先駆け審査の指定を受けています。現在、再発難治ATLに対する第2相臨床試験の開始が予定されています。
本成果は、本邦において基礎から臨床へと展開したトランスレーショナル研究であり、日本発の新薬の開発が進み、また臨床試験の結果によっては白血病や悪性リンパ腫などに罹患した多くの方々にとって大きな救いとなる可能性があります。
※本研究開発は、日本医療研究開発機構(AMED)創薬基盤推進研究事業、及び、新興・再興感染症に対する革新的医薬品等開発推進研究事業の支援によって実施されました。
発表雑誌
雑誌名:「Cell Reports」(オンライン版:11月19日付け)
論文タイトル:Targeting Excessive EZH1 and EZH2 Activities for Abnormal Histone Methylation and Transcription Network in Malignant Lymphomas
著者:Makoto Yamagishi*, Makoto Hori, Dai Fujikawa, Takeo Ohsugi, Daisuke Honma, Nobuaki Adachi, Harutaka Katano, Tsunekazu Hishima, Seiichiro Kobayashi, Kazumi Nakano, Makoto Nakashima, Masako Iwanaga, Atae Utsunomiya, Yuetsu Tanaka, Seiji Okada, Kunihiro Tsukasaki, Kensei Tobinai, Kazushi Araki, Toshiki Watanabe, Kaoru Uchimaru*
DOI番号:10.1016/j.celrep.2019.10.083
用語解説
(注1)エピゲノム異常:DNAの配列の変化を伴わない後天的な遺伝子の変化を誘導する分子メカニズムの異常。エピゲノムはDNAやそれを取り巻くヒストン分子の化学修飾の総称を指す。
(注2) EZH1とEZH2:ヒストンH3の27番目のリジン残基をメチル化する酵素群。DNAの配列の変化を伴わない後天的な遺伝子の変化を誘導する。EZH1とEZH2がお互いの機能を補償して、正常細胞の機能や分化に重要であり、がん細胞でも重要な役割を果たす。がん細胞のマーカーや標的となる分子としても有名。
(注3)ATL:成人T細胞白血病リンパ腫の略称であり、HTLV-1感染者の約5%で発症する重篤な白血病リンパ腫。年間約1100人が発症し、ほぼ同数が毎年ATLで死亡している。有効な化学療法が確立しておらず、約半数の患者は発症後1年で死亡する。抗体療法、血液幹細胞の移植療法等が試みられている。
(注4)HTLV-1:ヒトT細胞白血病ウイルス1型。我が国に約100万人の感染者が存在すると推定されている。母乳や性交渉によって感染する。感染者の一部で重篤な白血病ATLや慢性炎症性疾患(HTLV-1脊髄症、HTLV-1ブドウ膜炎等)を発症する。
(注5)クロマチン構造:DNAがヒストンに巻きついた複合体。ヒストン分子の化学修飾(メチル化など)やDNAのメチル化によってクロマチン同士が凝集すると、DNAが立体構造的に他の分子からアクセスされにくくなるため、遺伝子の発現が抑制される。逆にクロマチン同士が互いに反発して構造が緩むと、遺伝子の発現が活発に起きる。
(注6)H3K27me3:27番目のリジン残基が3つメチル化されたヒストンH3分子。H3K27me3は近接するクロマチン構造を凝集させる働きをもつ。
(注7)Epstein-barr (EB)ウイルス:日本では成人までに90%?ほぼ100%の人が唾液や性分泌液等を介して感染する。通常は免疫機構によってウイルスの増殖が抑えられるが、加齢や免疫力の低下などの様々な要因によって悪性リンパ腫や胃がんなどの腫瘍性疾患や、伝染性単核球症、慢性活動性EBウイルス感染症を引き起こすことがある。
添付資料
図1:さまざまながんにおけるエピゲノム異常の形成メカニズムとEZH1/2阻害薬による制御