テラヘルツパルスによって強誘電性電荷秩序状態を超高速に生成することに成功 ~磁気的相互作用によって安定化する隠れた強誘電性を発見~
- ニュース
- 記者発表
発表のポイント
◆電子間クーロン反発の効果で実現するモット絶縁体(注1)である有機分子性結晶において、高強度のテラヘルツパルス(注2)を照射することにより、一定時間安定に存在する、巨視的な分極を持つ強誘電性電荷秩序状態(注3)を生成することに成功した。
◆分子の二量体(注4)において生じた電荷の偏りが、異なる二量体に属する分子間の反強磁性交換相互作用(注5)によって安定化する機構(マルチフェロイック相互作用(注6))の存在が明らかになった。
◆本研究で得られた知見は、分子の二量体をユニットとするモット絶縁体が持つ「隠れた強誘電性」の理解に繋がると期待される。
発表概要
光によって固体の電子相が高速に変化する現象、いわゆる「光誘起相転移」は、非平衡量子物理学という新しい学問分野の中心課題であり、近年盛んに研究されています。これまで報告されてきた光誘起相転移の多くは、光キャリアの生成をきっかけとして電荷秩序やスピン秩序が融解する現象、すなわち、秩序状態から無秩序状態への変化が引き起こされることによるものでした。一方、光励起によって逆に秩序状態を生成することは難しく、これまでほとんど実現されていませんでした。
東京大学大学院新領域創成科学研究科の山川大路博士(研究当時大学院生)、宮本辰也助教、貴田徳明准教授、岡本博教授(兼産総研・東大先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ有機デバイス分光チーム ラボチーム長)、分子科学研究所協奏分子システム研究センターの須田理行助教(現京都大学大学院工学研究科准教授)、山本浩史教授、東京大学物性研究所の森初果教授、東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻の宮川和也助教、鹿野田一司教授らの研究グループは、モット絶縁体である有機分子性結晶κ-(ET)2Cu[N(CN)2]Cl (ET=bis(ethylenedithio)tetrathiafulvalene)に高強度のテラヘルツパルスを照射することによって、一定時間安定に存在する、強誘電性の電荷秩序状態を生成することに成功しました。テラヘルツパルスの電場成分によってET分子の二量体内で電荷の偏りが生じ、その偏りが結晶全体で揃うことによって巨視的な分極が発生します。
一方、同様の結晶構造を持つκ-(ET)2Cu2(CN)3では、同様な電荷秩序状態は安定化しませんでした。二つの物質における分子間反強磁性交換相互作用を比較した結果、κ-(ET)2Cu[N(CN)2]Clに特有の反強磁性交換相互作用が電荷秩序状態を安定化するのに重要な役割を果たしていることが分かりました。これは、電荷秩序とスピン配列の間にマルチフェロイック相互作用と呼ぶべき強い相関があることを示唆しています。
本研究で得られた知見は、モット絶縁体が持つ「隠れた強誘電性」の理解に繋がるものと期待されます。
本研究の成果は2021年2月11日付けで、英国科学誌「Nature Communications」にオンライン掲載されました。
発表内容
研究の背景・先行研究における問題点
サブピコ秒の時間スケールで電子相ががらりと変化する光誘起相転移と呼ばれる現象は、固体物理学の新しいトピックとしてだけでなく、超高速光スイッチ(注7)の動作原理としても注目を集めています。遷移金属化合物や有機分子性結晶における光誘起絶縁体-金属転移をはじめとして、現在報告されている光誘起相転移の多くは、光キャリアの生成をきっかけとして、電荷秩序やスピン秩序を融解することによるものでした。逆に、光励起によって、秩序状態、もしくは、より対称性の低い状態を生成することは一般に難しく、これまでほとんど実現されていませんでした。
本研究では、この課題を克服するために、単一サイクルのテラヘルツパルスを励起源として利用することを考えました。時間幅がわずか1ピコ秒であるテラヘルツパルスを利用すれば、物質に、ほとんど電流を流さずに100 kV/cmを遥かに超える強電場を印加することができます。そのため、電場による超高速の強誘電分極の生成が可能であると予想されます。
研究内容
本研究では、有機分子性結晶κ-(ET)2Cu[N(CN)2]Clを対象としました(図1(a))。この物質は、ET分子の二量体が二次元的に配列した構造を持っています。一つの二量体に一つの正孔が存在していますが、二量体内の電子間クーロン反発の効果でモット絶縁体と呼ばれる絶縁体状態をとります。この物質は、二量体内で電荷の偏りが生じ、それが結晶全体で秩序化した状態(電荷秩序状態)への不安定性を持っているのではないかと予想されています。しかし、明確な実験的証拠が得られていないため、この問題は未解決となっています。
本研究では、テラヘルツパルス照射後の物性の時間変化を、ポンプ-プローブ分光(注8)と呼ばれる手法によって測定しました。電場振幅が約400 kV/cmのテラヘルツパルス(図2(a))を照射すると、近赤外パルス光の第二高調波(注9)が発生するようになりました(図2(b))。この結果は、巨視的な分極が生じたことを示しています。テラヘルツパルス照射後の反射率スペクトルの変化を詳しく調べた結果、テラヘルツパルスによって二量体内で電荷の偏りが生じることが分かりました。以上の結果は、電荷の偏りが結晶全体で揃うことにより、強誘電性の電荷秩序状態が生成したことを示しています(図1(b))。反射率変化の大きさは、40 Kまでは低温に向けて増加します。これは、低温に向けて電荷秩序状態がより安定になることを意味します。40 K以下の温度では、反射率変化の大きさは逆に減少するようになりました。この結果は、40 K以下で、定常状態においても電荷秩序状態が現れるようになったことを示唆しています。
一方、この系と同様の結晶構造を持つκ-(ET)2Cu2(CN)3では、定常状態、および、テラヘルツパルス照射後の状態の両方において、電荷秩序状態が安定に存在できないことが分かりました。二つの物質における分子間の反強磁性交換相互作用を詳しく調べた結果、電荷秩序が、異なる二量体に属する分子間に働く反強磁性的相互作用の効果で安定化することが示唆されました。これは、電荷とスピンの間に新しいタイプの相互作用(マルチフェロイック相互作用)が働き、それが強誘電性電荷秩序状態の安定化に重要な役割を果たしていると見なすことができます。
社会的意義・今後の予定
テラヘルツパルスの電場成分を利用して強誘電状態を生成する本手法は、光スイッチ等への応用が期待されます。パルス光による電子状態の励起に基づいた従来の手法では、秩序状態を生成させることが困難であることに加え、余剰エネルギーによるエネルギー散逸や温度上昇が問題となっていました。一方、テラヘルツパルスの光子エネルギーは一般的な半導体のエネルギーギャップよりもはるかに小さいため、エネルギー散逸やエネルギー消費が少ないという利点もあります。また、本研究によって、κ-(ET)2Cu[N(CN)2]Clにおいて長年議論されてきた強誘電性の電荷秩序状態の存在が、実験的に明らかにされました。
今後は、マルチフェロイック相互作用を正確に取り入れた情報科学的手法に基づく理論解析を行うことにより、モット絶縁体が持つ「隠れた強誘電性」を解明したいと考えています。
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)「計測技術と高度情報処理の融合によるインテリジェント計測・解析手法の開発と応用」(研究総括:雨宮慶幸 公益財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI)理事長)における研究課題「強相関系における光・電場応答の時分割計測と非摂動型解析」(課題番号JPMJCR1661、研究代表者:岡本博 東京大学大学院新領域創成科学研究科 教授、研究期間 : 平成28~令和3年度)、日本学術振興会科学研究費助成事業(課題番号:JP16H04010, JP17K18746, JP18H01166, JP18H05225)、文部科学省(MEXT)ナノテクノロジープラットフォーム事業、MEXT科学研究費助成事業新学術領域研究(研究領域提案型)「ハイドロジェノミクス」の一環で実施されました。
発表雑誌
雑誌名:「Nature Communications」(2021年2月11日付け)
論文タイトル: Terahertz-field-induced polar charge order in electronic-type dielectrics
著者:H. Yamakawa, T. Miyamoto, T. Morimoto, N. Takamura, S. Liang, H. Yoshimochi, T. Terashige, N. Kida, M. Suda, H. M. Yamamoto, H. Mori, K. Miyagawa, K. Kanoda, and H. Okamoto
DOI番号:10.1038/s41467-021-20925-x
発表者
山川 大路(研究当時:東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 博士課程3年/
現:株式会社日立製作所)
宮本 辰也(東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 助教)
貴田 徳明(東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 准教授)
岡本 博(東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 教授/産総研・東大先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ有機デバイス分光チーム ラボチーム長)
須田 理行(研究当時:分子科学研究所協奏分子システム研究センター 助教/現:京都大学大学院工学研究科 准教授)
山本 浩史(分子科学研究所協奏分子システム研究センター 教授)
森 初果(東京大学物性研究所 教授)
宮川 和也(東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻 助教)
鹿野田 一司(東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻 教授)
用語解説
(注1)モット絶縁体
価電子帯が半分もしくは部分的にしか満たされていない結晶は、通常のバンド理論では金属状態となる。しかし、電子間に強いクーロン相互作用が働く場合は、電子はお互いを避けるように各サイト(原子や分子)に局在して絶縁体となる。この時、価電子帯は上部ハバードバンドと下部ハバードバンドの二つに分裂し、エネルギーギャップが生じる。このような絶縁体を、モット絶縁体と呼ぶ。本研究では、三角格子状に並んだ二量体に一つずつ正孔が存在する二次元モット絶縁体を対象とした。
(注2)テラヘルツパルス
約1 テラヘルツ(= 1012ヘルツ)の周波数を持ち、約1ピコ秒(= 10-12秒)の時間幅を持つようなほぼ単一サイクルの電磁波パルスのことをテラヘルツパルスと呼ぶ。
(注3)強誘電電荷秩序状態
電気分極(正負の電荷の対)がある一定の方向に揃っており、かつ、その電気分極が外部電場によって反転可能である物質のことを強誘電体と呼ぶ。また、強誘電体となる性質のことを、強誘電性と呼ぶ。電荷秩序は、二種類以上の電荷状態が規則正しく整列した状態のことである。本研究では、二量体内の電荷の偏りによって強誘電分極が現れるため、強誘電電荷秩序状態となっている。
(注4)二量体
二つの同種分子がまとまった状態のことを二量体と呼ぶ。
(注5)反強磁性交換相互作用
隣接サイト(原子や分子)にある電子や正孔の持つスピンの向きが、互いに逆方向になるように働く相互作用のことを反強磁性交換相互作用と呼ぶ。
(注6)マルチフェロイック相互作用
強誘電性と磁気秩序を両方併せ持つ物質をマルチフェロイック物質という。本稿では、反強磁性交換相互作用によって強誘電性を安定化させる相互作用のことを、マルチフェロイック相互作用と呼ぶ。
(注7)光スイッチ
透過率変化や反射率変化を介して、光の強度を変化させる装置のこと。特に、光によって別の光の強度を変化させる全光型の光スイッチは、現状の電子デバイスにおける処理速度を超えるピコ秒オーダーの動作が可能であることから、将来の情報通信を担う主要技術の一つと考えられている。
(注8)ポンプ-プローブ分光
ある物質にポンプ光(強いパルス光)を照射した場合に生じる電子状態の変化を、プローブ光(弱いパルス光)に関する光学定数(反射率や透過率)の変化で検出することにより調べる手法をポンプ-プローブ分光と呼ぶ。プローブ光の光子エネルギーを変化させることによって、光学スペクトルの変化の時間依存性を測定することができる。本研究ではポンプ光としてテラヘルツパルスを、プローブ光として可視から中赤外域のパルス光を用いている。
(注9)第二高調波
強誘電体のような空間的に対称性が破れている物質に角周波数ωの強い光を照射した場合に発生する、角周波数2ωの光のことを第二高調波と呼ぶ。本研究では、第二高調波を強誘電分極の検出に利用している。
添付資料
(図1)結晶構造と電子構造。(a)基底状態のモット絶縁体。(b)テラヘルツパルスの電場成分(ETHz)によって生じた強誘電電荷秩序状態。赤丸の大きさは、分子価数ρの大きさを模式的に表したものである。テラヘルツパルスを照射すると、緑矢印のように二量体内で電荷が移動する。赤丸内の青矢印は電荷のスピンである。スピン同士を結んでいる黒線は強誘電電荷秩序状態を安定化させる反強磁性交換相互作用を表している。発表論文(c 2021 CC BY 4.0 License)から改変して掲載。
(図2)(a)テラヘルツパルスの電場波形。(b)テラヘルツパルス照射後の近赤外パルス光の第二高調波(電気分極)の大きさの時間依存性。赤実線はテラヘルツパルスの電場波形の二乗を表している。発表論文(c 2021 CC BY 4.0 License)から改変して掲載。