世界初!元素種を識別して材料のミクロ構造を解析するノイズ耐性の高い新解析法を開発
―将来的なデバイス材料のミクロ構造研究に活路を開く―
- 記者発表
熊本大学
筑波大学
あいちシンクロトロン光センター
東京工業大学
日本原子力研究開発機構
量子科学技術研究開発機構
九州シンクロトロン光研究センター
東京大学
発表のポイント
◆広域X線吸収微細構造(EXAFS)スペクトルから材料のミクロ構造を解析するため、電子波多重散乱理論に基づいたスパースモデリングとベイズ推定を組み合わせたノイズ耐性の高い新解析法を開発しました。
◆本解析法は、ノイズ耐性が高いため、X線吸収強度が弱くこれまで困難であった薄膜試料のミクロ構造の解析が実現できることから、光スイッチ材料として期待されるイットリウム酸水素化物薄膜に応用し、イットリウム周りの酸素の配位構造を決定しました。
◆本解析法は、材料の元素種の情報だけで原子間距離を正しく解析し、材料のミクロ構造を解明することができ、新しい薄膜デバイス材料の研究に貢献することが期待されます。
発表概要
熊本大学産業ナノマテリアル研究所の熊添博之 特任助教、赤井一郎 教授らの共同研究グループは、イットリウム酸水素化物(YHO)薄膜(注1)の広域X線吸収微細構造(EXAFS)(注2)スペクトルに、電子波多重散乱理論(注3)に基づいた基底関数(注4)を用いたスパースモデリング(注5)とベイズ推定(注6)を組み合わせた新しい解析法を適用しました。その結果、YHO薄膜のイットリウム周りに存在する酸素原子が四面体配位(注7)していることが明らかになり、ベイズ推定により、データに重畳するノイズをモデリングして、解析困難なノイズの大きいデータからミクロ構造(注8)を解析することに成功しました。この手法は機能性薄膜材料を始めとする様々な物質のミクロ構造解明への応用が期待されます。
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(CREST 熊本大学 赤井一郎 教授(JPMJCR1861)、CREST 東京大学 岡田真人 教授(JPMJCR1761)、CREST 物質・材料研究機構 岩崎悠真 主任研究員(JPMJCR21O1)、さきがけ 筑波大学 五十嵐康彦 准教授(JPMJPR17N2)、さきがけ 東京工業大学 清水亮太 准教授 (JPMJPR17N6)、文部科学省科学研究費助成事業(東京工業大学 清水亮太 准教授(JP19H02596、JP19H04689)、東北大学 折茂慎一 教授(JP18H05513)、東京工業大学 一杉太郎 教授(JP18H05514)および旭硝子財団の支援を受け、あいちシンクロトロン光センター ファビオ・イエザリ 特別研究員、同 岡島敏浩 副所長、東京工業大学 小松遊矢(博士後期課程2年)、日本原子力研究開発機構 松村大樹 研究主幹、量子科学技術研究開発機構 齋藤寛之 上席研究員、熊本大学 岩満一功 技術主任および九州シンクロトロン光研究センター 妹尾与志木 所長の共同研究にて行いました。本研究成果は米国科学雑誌「AIP Advances」に令和3年12月10日午前10時(米国東部時間)に掲載されました。
発表内容
デバイス材料の機能高度化のためにはミクロ構造の解析が必須で、広域X線吸収微細構造(EXAFS)スペクトルの計測が行われます。しかし、薄膜試料ではX線の吸収強度が弱いためEXAFSのS/N比(注9)が小さく、ミクロ構造の高精度な解析は困難でした。
その課題を突破するために、まず複素Hedin-Lundqvistポテンシャル(注10)による光電子波(注11)の2体多重散乱理論(注12)に基づく基底関数を用いて、EXAFSデータのスパースモデリングを行いました。さらに、その解析結果から、ベイズ自由エネルギー(注13)を小さくするように最適化することでデータに重畳するノイズを推定し、解釈しやすい動径分布関数(注14)を得る方法を開発しました。多重散乱理論では、元素種によって光電子波の散乱振幅(注15)が異なることと、散乱に伴う光電子波の位相変化(注16)・振幅減衰を量子力学(注17)に基づいて評価することから、原子間距離を正しく推定することが可能となりました。
この方法の有効性を示すため、光スイッチ材料(注18)として期待されるイットリウム酸水素化物エピタキシャル薄膜(注19)のEXAFS解析に適用しました。その結果、イットリウム原子と酸素原子を識別して、それぞれの動径分布関数を正しい原子間距離で推定することに成功しました。なお、EXAFSスペクトルは大型放射光施設SPring-8(注20)のQST極限量子ダイナミクスIIビームライン(BL14B1)にて測定されました。
図1(a)の散布図(白丸)は計測データで、薄膜試料のため重畳ノイズが大きいことが分かります。図1(b)と(c)は、その計測データから、今回新たに開発した方法で得られたイットリウム(Y-Y)と酸素(Y-O)それぞれの動径分布関数で、イットリウム原子近傍のミクロな原子配位構造を表しています。図1(a)の赤線は、得られた動径分布関数で得られる再現データで、ノイズまでを再現する過学習(注21)をさけて、データを適切に再現していることが分かります。図1(b)と(c)の横軸である原子間距離は、フーリエ変換(注22)等の従来法と異なり原子間距離を正しく評価できていることから、イットリウムの最近接原子である酸素との原子間距離と、第二近接原子のイットリウム原子との原子間距離の比から、図2の様にイットリウム周りで酸素原子が四面体配位していることが推定されました。
図1:EXAFSスペクトルの解析結果。(a)実験データと解析による再現結果、(b,c)解析で得られたイットリウム(b)と酸素(c)の配位数分布。(論文の図3を簡略化のため改変)
図2:イットリウム周りで酸素原子が四面体配位している模式図。
このように、開発したEXAFS解析法は
- 事前に結晶構造の情報を必要とせず、元素種の情報だけで解析可能
- 2体多重散乱理論に基づくことから、原子間距離を正しく推定可能
- ベイズ推定の枠組みに基づきノイズ耐性が高い
の特徴を持つことから、従来法では困難であった薄膜試料中の局所構造の推定が可能となり、新たな発展が期待できます。
【共同研究における各研究機関の役割】
熊本大学:データ解析、論文作成
筑波大学:データ解析、論文作成
科学技術振興機構:データ解析、論文作成
あいちシンクロトロン光センター:データ解析、論文作成
東京工業大学:試料作製、データ測定、論文作成
日本原子力研究開発機構:データ測定、論文作成
量子科学技術研究開発機構:データ測定、論文作成
九州シンクロトロン光研究センター:論文作成
東京大学:データ解析、論文作成
物質・材料研究機構:データ解析、論文作成
用語解説
(注1)イットリウム酸水素化物(YHO)薄膜
イットリウムに酸素と水素が結合した層状物質。
(注2)広域X線吸収微細構造(EXAFS)
原子のX線吸収によって放出される自由電子波と、それが近接原子によって散乱・回折された自由電子波との干渉現象を利用した構造解析法。干渉パターンが近接原子との距離で劇的に変化することから、原子スケールのミクロ構造を解析するために汎用的に用いられています。
(注3)電子波多重散乱理論
X線吸収によって放出される電子波の散乱を記述した理論。周囲には無数の散乱される対象が存在し、また複数回散乱されるような多重な散乱を扱うことができます。
(注4)基底関数
波の重ね合わせの原理に基づいて、様々な波形を基本的な波形の足し合わせで再現した際に用いられる、基本的な波形を表す関数を基底関数といいます。
(注5)スパースモデリング
現象を説明する要因は少数(スパース)であるという仮定に基づき、適切な規範に従ってデータに含まれる主要因を抽出する方法。少ない情報から全体像をつかむことができ、幅広い分野で利用されています。
(注6)ベイズ推定
結果から原因を推定する統計学であるベイズ統計学の考え方に基づいた推定方法の1つ。データ分析では、計測データのモデルを立て、そのモデルのパラメータを求めるパラメータ推定が行われます。計測データとパラメータを共にランダムに得られるもの(確率変数)とみなし、パラメータが従う確率分布を求める手続きをベイズ推定と呼びます。パラメータの値に加えパラメータが従う確率分布を得られるため、パラメータの値が持つ不確かさを定量化できます。
(注7)四面体配位
注目原子を中心として、ある原子が四面体の頂点の位置に存在すること。この場合は、イットリウムを中心に4つの酸素が四面体の頂点に存在します。
(注8)ミクロ構造
原子や分子が空間的に規則正しく配列した結晶が繰り返されている原子スケールの構造のこと。
(注9)S/N比
計測スペクトルにおける信号とノイズの割合。ノイズが小さいほどS/N比が大きく信号の特徴がよく表れたデータとなります。
(注10)複素Hedin-Lundqvistポテンシャル
入射粒子の散乱と吸収を表す複素数で記述されたポテンシャルで、実数部分が入射粒子の散乱を、虚数部分が吸収を表します。
(注11)光電子波
原子のX線吸収によって放出される自由電子波のこと。
(注12)2体多重散乱理論
散乱の対象をX線吸収によって放出される電子波との2体間のみに限定し、3体以上のさらに複雑な散乱経路による影響は少ないとした理論。
(注13)ベイズ自由エネルギー
データに対する統計モデルと、パラメータに関する事前知識を表現する確率分布(事前確率分布)の組がどの程度相応しいかを表しており、情報量規準(統計モデルを評価する指標)として用います。
(注14)動径分布関数
ある注目原子の周りに原子がどの様に分布しているかを表す関数。原子の分布を注目原子からの距離の関数として表します。
(注15)散乱振幅
波の特徴を表す物理量に振幅があり、振幅は波の1周期間での最大変位の絶対値で表されます。振幅は振動の大きさを表し、散乱振幅は散乱波の振幅のこと。
(注16)位相変化
波動などの周期的な現象において位相とは1周期中の位置を表す量のこと。ここでは、散乱により入射状態と散乱状態の位相が異なることを表します。
(注17)量子力学
光や電子などが粒子と波の二つの性質を併せもつことを理論づけた物理学。
(注18)光スイッチ材料
光信号の切り替えや振り分けに用いられる材料。本研究で注目しているイットリウム酸水素化物薄膜は太陽光の照射により電気抵抗率や可視光透過率が可逆的に変化するため、光スイッチ材料への応用が期待されています。
(注19)エピタキシャル薄膜
種結晶となる単結晶基板上に堆積することで、下地の基板と結晶面をそろえて成長した薄膜のこと。
(注20)SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のことです。
(注21)過学習
学習精度がある一定まで向上すると、それ以降は学習していないデータへの対応力を失ってしまう現象。ここでは本来学習(再現)させたい特徴とは無関係なノイズまで再現することをいいます。
(注22)フーリエ変換
周期的な振動波形を、余弦関数と正弦関数を基底関数として展開して再現する変換方法。振動性波形の振動周波数成分を分解するときに汎用的に用いられています。
論文情報
論文名:Bayesian sparse modeling of extended X-ray absorption fine structure to determine interstitial oxygen positions in yttrium oxyhydride epitaxial thin film
著者(*責任著者):Hiroyuki Kumazoe1,*, Yasuhiko Igarashi2,3, Fabio Iesari4, Ryota Shimizu5,3, Yuya Komatsu5, Taro Hitosugi5, Daiju Matsumura6, Hiroyuki Saitoh7, Kazunori Iwamitsu8, Toshihiro Okajima4, Yoshiki Seno9, Masato Okada10,11, Ichiro Akai1,*
- 熊本大学 産業ナノマテリアル研究所
- 筑波大学 システム情報系
- 科学技術振興機構 さきがけ
- あいちシンクロトロン光センター
- 東京工業大学 物質理工学院
- 日本原子力研究開発機構 物質科学研究センター
- 量子科学技術研究開発機構 量子ビーム科学部門
- 熊本大学 技術部
- 九州シンクロトロン光研究センター
- 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 複雑理工学専攻
- 物質・材料研究機構 情報統合型物質・材料研究拠点
掲載誌:AIP Advances
DOI:10.1063/5.0071166
URL:https://doi.org/10.1063/5.0071166
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