健常人の血液シングルセル解析が明らかにした個人免疫状態の多様性
- 記者発表
東京大学
発表のポイント
◆日本人健常者の血液を一細胞レベルで解析し、個人ごとの免疫状態、ワクチン反応性の分子機構を明らかにする基礎データを大規模に蓄積した。
◆平常時、インフルエンザワクチン接種前後、SARS-CoV-2ワクチン接種前後の末梢血中の免疫細胞を解析し、経時的変化を追跡することで、平常状態および免疫反応活性化状態での免疫反応を一細胞レベルのトランスクリプトーム、プロテオーム、レパトアに関する大規模データを収集、解析した。
◆日本人を対象とした健常者データは限られており、特に新規技術である一細胞解析によるデータは貴重である。本研究は、個人ごとの免疫反応の差異を明らかにしたのみではなく、今後様々な研究における比較対象のリソースとしても非常に価値があると考えられる。
発表概要
血液中に存在するT細胞、B細胞、単球などの免疫細胞は、健常状態や疾患状態で様々な役割を果たします。疾病時の免疫プロファイリングのデータの研究が進む一方で、これまで健常人の個人差や日動変動についての詳細な解析データは限られていました。
東京大学大学院新領域創成科学研究科の鈴木穣教授らの研究グループは、健常人の血液の一細胞解析(注1)を行い、平常状態であっても個人ごとの既往歴や個人の生活背景の違いにより免疫細胞に個人差があることを明らかにしました(図1)。
さらに、インフルエンザウイルスとSARS-CoV-2(注2)に対するワクチン接種の経過を時系列で追跡し解析したところ、個人間で共通する細胞種や遺伝子発現の変動パターンがある一方で、抗体産生や特異的T細胞の分化といった免疫獲得には個人の背景による差が生じることが明らかになりました(図2、図3、図4)。また、T細胞やB細胞のレセプターを一細胞レベルで追跡することにより、病原体特異的な免疫細胞が獲得される過程を明らかにしました。
日本人の健常状態の一細胞解析データは希少であり、さらに個人のデータを集中的に集めたデータベースも類を見ないことから、本研究の成果は、今後の様々な研究における比較対象群のデータとしての利用価値も高く、多くの疾患の解明に役に立つ可能性があります。
本研究成果は、国際学術誌「Life Science Alliance」に2022年4月5日付で公開されました。
発表内容
免疫細胞は、複雑なシステムを構築し、個人の多様な免疫反応に関与していることが知られています。遺伝的背景や地理的な起源、病歴、生活習慣が異なる個人間では、免疫プロファイリングは異なるはずですが、疾患に関する研究は数多く報告されている一方で、健常人での免疫に関する報告は限られていました。特に、日本人を対象とした研究はほんの一握りであり、個人によって異なる免疫プロファイルの多様性がどのようにして獲得・維持され、一般に健康な人の免疫反応の基礎状態として機能しているのかについては、ほとんど明らかにされていません。
免疫反応は主に感染部位で起こるため、全身を循環する末梢血により免疫プロファイリングの解析を行うことは一般的な手法の一つです。末梢血には、自然免疫を担うマクロファージ、樹状細胞、単球、ナチュラルキラー細胞と、獲得免疫を担うT細胞やB細胞が含まれています。獲得免疫は、T細胞やB細胞の特異的な抗原認識により成り立っていますが、これはT細胞やB細胞の分化過程でのVDJ遺伝子再構成(注3)により、各細胞は細胞表面に提示される抗原結合部位の配列を決定する固有のVDJセットを得ることによります。T細胞には、α鎖とβ鎖からなるT細胞受容体(TCR)のVDJセグメントが、B細胞には、免疫グロブリンの重鎖と軽鎖からなるB細胞受容体(BCR)が存在します。
免疫細胞の解析には、FACS(注4)やバルクRNA-seq(注5)が従来用いられてきましたが、これらは細胞集団の平均値としての解析であり、特定の細胞集団の遺伝子発現を個別に解析することは困難でした。また、個々の細胞に固有のVDJパターン、特にその発現免疫細胞の状態との関連性を解析することも不可能でした。これに対し、近年普及した一細胞解析では、単一細胞レベルでの詳細な観察が可能であり、バルクRNA-seqを用いてこれまでマスクされていた細胞の不均一性を調査し、特定された抗原に対する特定の細胞の応答を評価することが可能です。
本研究では、末梢血をサンプルとした一細胞レベルでの遺伝子発現解析、VDJレパートリ解析およびオミクス解析により様々な状態における健常人の免疫プロファイリングを明らかにしました。今回の結果から、健常状態での個人ごとの多様性と個人の日差変動、インフルエンザウイルスおよびSARS-CoV-2に対するワクチン接種による免疫獲得の過程が一細胞レベルで明らかにされました。さらに、本研究は、疾病の免疫学的研究で定期的に使用される対照群の多様性の理解にも結びつくと考えられます。
※本研究開発は、国立研究開発法人科学技術振興機構(JPMJMS2025)の支援によって実施されました。
発表雑誌
雑誌名:「Life Science Alliance」
論文タイトル:Intensive single-cell analysis reveals immune-cell diversity among healthy individuals
著者:Yukie Kashima†, Keiya Kaneko†, Patrick Reteng†, Nina Yoshitake, Lucky Ronald Runtuwene, Satoi Nagasawa, Masaya Onishi, Masahide Seki, Ayako Suzuki, Sumio Sugano, Mamiko Sakata-Yanagimoto, Yumiko Imai, Kaori Nakayama-Hosoya, Ai Kawana-Tachikawa, Taketoshi Mizutani, Yutaka Suzuki*
DOI番号:10.26508/lsa.202201398
アブストラクトURL:https://www.life-science-alliance.org/content/5/7/e202201398
発表者
鹿島幸恵(東京大学大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻 特任助教)
鈴木 穣(東京大学大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻 教授)
用語解説
(注1)一細胞解析:
細胞を集団としてではなく、個別に解析する方法。現在の技術では、遺伝子発現やエピゲノム、T細胞/B細胞のレパトア(VDJ鎖)を細胞ごとに明らかにすることができる。
(注2)SARS-CoV-2:
重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2
(注3)VDJ遺伝子再構成:
T細胞、B細胞には、V(variable)遺伝子, D(diversity)遺伝子, J(joining)遺伝子を再構成することで多様な分子の認識が可能となる仕組みが存在する。
(注4)FACS:fluorescence-activated cell sorting
細胞表面抗原を標識し、ソーティングすることで様々な解析を行う。
(注5)バルクRNA-seq:
次世代シークエンサーにより細胞の遺伝子発現レベルを集団として解析する方法。
添付資料
図1: 研究の流れ
本研究では、大きく4つのTOPIC(同一人物の日差変動、個人差、インフルエンザワクチン、SARS-CoV-2ワクチン)を扱い、それぞれに対して一細胞レベルでのデータセットを取得した。
図2: 一細胞トランスクリプトーム解析による細胞の同定
各サンプルのトランスクリプトームとレパトアのデータは、次世代シークエンサーと情報学的処理により一細胞レベルで解析された。図では、トランスクリプトームの情報を利用して細胞種の同定を行っている。
図3: 一細胞トランスクリプトーム解析による細胞の同定
TOPIC1(同一人物の日差変動)の解析例。図2で示した一細胞とランスクリプトーム解析のデータから、各タイムポイントの免疫細胞の構成を示している。H1、H2は共に健常人で、全てのタイムポイントにおいて、特に疾患に罹患等はなかったことを確認している。
図4: SARS-CoV-2ワクチン接種前後の免疫細胞の推移TOPIC4(SARS-CoV-2ワクチンに関する研究)の解析例。同じワクチンを接種した際、共通する変動パターンがある一方で、既往歴、育った環境、平常状態の免疫細胞の構成といった個人のバックグラウンドによる差が存在することが示唆された。