新たな非線形ラマン効果を用いた、検出下限を1桁程度下げる電界計測手法を開発 ~プラズマプロセスの更なる高度化に向けて~
- 研究成果
発表のポイント
◆緑と中赤外のパルスレーザーにより発生する非線形ラマン効果を利用した、シグナルの発生効率と検出の容易さを両立する新たな電界計測手法を開発しました。
◆水素分子を用いた実証実験では、大気圧気相雰囲気において従来手法で報告されていた検出下限より1桁程度微弱な電界強度である0.5 V/mmまでの検出に成功しました。
◆プラズマの性質を特徴づける電界をより詳細に把握することで、プラズマ誘起反応のより正確な理解、ひいてはプラズマプロセスの更なる高度化に貢献するものと期待されます。
発表概要
プラズマ照射対象への熱ダメージを抑えながら反応性励起活性種を作用できる大気圧低温プラズマは、物質合成や環境浄化、医療処置などへのプロセス応用が期待されています。現在も試行錯誤に基づくプロセス開発が進められていますが、今後の更なるプロセス開発の加速、そして高度な反応制御によるプロセス展開のためには、実験的な計測・診断に裏付けられたプラズマ誘起反応場の理論的理解が求められています。そこで、大気圧低温プラズマに関するパラメータ、特にプラズマの性質を特徴づける"電界(電場)"に関する詳細な計測・診断が望まれています。
数多ある電界計測手法のうち、大気圧という比較的高密度な環境でもプラズマを乱しづらく良好なシグナルを得られる手法として、レーザー光と空間電界により新たなビームを発生させる非線形光学効果を用いたものが複数報告されています。しかし、この効果を利用して詳細な電界計測を行う場合に重要な要素となる、ビームの発生効率が高いこと、そしてそのビームの波長が検出しやすいこと、とを既存手法では両立できていませんでした。
今回、東京大学大学院新領域創成科学研究科の小池健大学院生、宗岡均助教、寺嶋和夫教授、伊藤剛仁准教授らは、中赤外光を入射光とした従来とは異なる光学遷移スキームを採用し、これによる新たな非線形ラマン効果を計測に利用することで、シグナルの高い発生効率と検出の容易な波長での発生とを両立した高感度電界計測を初めて実証しました。これにより、特に大気圧室温の水素分子を用いた実証実験では、類似する既存手法で報告されていた検出下限より1桁程度微弱な電界強度である0.5 V/mmまで検出に成功しました。本手法を用いてプラズマに関わる電界を詳細に把握することで、最終的にプラズマ誘起反応の高度な制御、ひいては効率的かつ再現性のあるプラズマプロセスの展開に貢献するものと期待されます。
発表者
小池 健 (東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 博士課程1年)
宗岡 均 (東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 助教)
寺嶋 和夫(東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 教授)
伊藤 剛仁(東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 准教授)
発表内容
研究の背景・課題
プラズマは電子・イオン・ラジカルを豊富に含む反応性電離気体であり、半導体プロセスを始めとする多くの産業プロセスにおいて重用されています。近年はその適用範囲拡大のため、大気圧において室温程度の低温を維持しつつ生成可能な大気圧低温プラズマが精力的に研究されています。大気圧低温プラズマは照射対象への熱ダメージを抑えつつ、プラズマ由来の励起活性種を高密度に供給可能であり、例えば水溶液中でのプラズマ誘起反応や、生体物質へのプラズマ照射を可能とします。そのため、液相を用いた物質合成プロセス等、プラズマ材料プロセスの幅を広げるのみならず、従来の低圧プラズマや熱プラズマではアプローチしづらかった医療、環境分野等、新たなプラズマ応用分野の開拓が進められています。こうした新たな領域への発展に際して重要なのが、実験に裏付けられたプラズマ誘起反応場の理論的理解とそれに基づく制御です。反応場の理解が進むことで、長年に渡る試行錯誤に理論計算を交えることによるプロセス開発の加速、更には高度に反応制御がなされたプロセスの展開が期待できます。
反応場理解における重要因子の一つが、プラズマの性質を特徴づける"電界"です。プラズマは産業的には放電により主に生成されます。その中で、電界は電子やイオンといった荷電粒子を加速する、つまりエネルギーを与える役割を担っており、プラズマの反応性に関わる他のパラメータに密接に関連しています。従って、より高度なプラズマ誘起反応場の制御のためには、正確な電界時空間分布の理解・制御が必要となります。
大気圧環境は放電を行うには比較的高密度なので、大気圧低温プラズマはガス温度上昇抑制のために短時間(〜ns)かつ微小空間(≦mm)で生成されます。そのため、低圧プラズマの計測で一般的に用いられる静電プローブ法ではプラズマが乱され正常に計測できない恐れがあり、プラズマの発光や外部からのレーザー光などを計測に用いる光学的手法が適しています。近年、大気圧に適性をもつ光学的手法として非線形光学効果を用いた手法が複数報告されています。それらの手法では、レーザー光の入射により新たに発生するシグナル光の強度を測定することで、µm−mmオーダーの微小空間にかかる電界強度を非接触的に計測することができます。しかし、既存の手法は電界強度に応じたシグナル光の発生効率が低い、或いはシグナル光が光検出器で高感度に検出しづらい波長域に発生する、などの難点を抱えており、微弱電界を含む詳細な電界把握に関しては改善の余地がありました。
研究手法・成果
本研究では、電界計測に用いられる非線形光学効果のうち、非線形ラマン効果の一つである"電界誘起コヒーレントアンチストークスラマン散乱:electric-field-induced coherent anti-Stokes Raman scattering (ECARS)"に着目しました。ECARSは3つの電磁波成分:2成分の光(ラマン活性な遷移エネルギーに相当するエネルギー差を持つ)と外部電界(周波数ω=0 の電磁波と見なせる)によりビーム状に発生する光です。ECARSを用いる利点の一つとして、分子共鳴を用いているので非共鳴な手法と比較してシグナル光の発生効率が極めて高いことが挙げられます。しかし、発生波長が中赤外域なので、熱ノイズに埋没し検出しづらい欠点を抱えていました。そこで本研究では、赤外光を"検出側"に用いる代わりに"入射側"に用いる発想の転換により、新たな非線形ラマン効果であるECARS in visible region (ECARSv) を着想し、これを用いた新規電界計測手法を開発しました。ECARSv はECARSと同様に分子共鳴によるシグナル光の高い発生効率を持ちながら、同時に可視域という検出が中赤外域よりも容易な波長で発生する特徴を持ちます。こうしたシグナル光の高発生効率と低検出難度の両立は、非線形光学効果を用いる既存手法の中でこれまでに例がなく、既存手法を上回る高感度計測の実現が期待できます。本研究では大気圧室温の水素分子を対象として、532 nm(緑)と2.4 µm(中赤外:水素分子の持つラマン活性な遷移エネルギーに相当)のナノ秒パルスレーザーを用いた実証実験を行いました。その結果、ECARSvの発生を初めて実証するとともに、0.5 V/mmという微弱な電界の検出に成功しました。類似する従来手法による電界検出下限を1桁程度改善するものです。
社会的意義・今後の展望
今回開発した手法は大気圧のような高密度空間において傑出した電界検出能力を有しているので、プラズマ診断において従来電界計測の対象とみなされなかった荷電粒子密度ゆらぎのような微弱電界の高解像度な計測、ひいてはプラズマ制御の鍵となりうる電界のより詳細な把握が期待できます。さらに本手法を大気に適用することで、プラズマ診断は勿論のこと、落雷予測や静電気検出といった、より日常生活に即した応用も期待できます。
今後は本手法によりプラズマ誘起反応場にかかる電界を詳細に計測・診断を行い正確に理解することで、最終的にはプラズマ中活性種やそれによる反応が高度に制御された、効率的かつ再現性あるプラズマプロセスの展開を推進して参ります。
発表雑誌
雑誌名:「Physical Review Letters」(オンライン版:7月13日付け)
論文タイトル:「Electric-field-induced coherent anti-Stokes Raman scattering of hydrogen molecules in visible region for sensitive field measurement」
著者:Takeru Koike, Hitoshi Muneoka, Kazuo Terashima, and Tsuyohito Ito
DOI番号:10.1103/PhysRevLett.129.033202